みなさんは白内障という眼の病気をご存じですか。これは眼の水晶体が濁って、やがて視力障害を引き起こすというもので、誰でも年をとるとたいていの人がかかってしまいます。しかし、インドやバングラデシュなどでは、若い人の中にも白内障の患者さんがいます。本来は老化するにしたがって発生する病気なのですが、栄養不良や衛生面の不備などが原因となって若い層にも白内障に悩んでいる人が大勢いるのです。白内障は手術すれば簡単に治る病気ですが、貧しい人々は手術することもできずにやがては失明してしまうという、悲惨な状態におかれています。このような現状に対して精力的に奉仕活動を行っているのが、フィリピンの眼科医ベニー・サントス氏です。
ベニーさんは、マニラから北東に50キロほどのところにあるマロロスという町の出身で、ひいおじいさんの代からのお医者さん一家に生まれました。彼はロータリークラブをはじめ、地元の医学学会や商工会、ボーイスカウトなど、ありとあらゆる団体に所属しており、様々なボランティア活動を通じて日本のロータリークラブでもよく知られた存在です。ベニーさんは現在73歳。毎日、大勢の患者さんがベニーさんのクリニックを訪れますが、彼は治療費が払えない貧しい人には無料で手術を行っています。ですから、彼のクリニックはいつも患者さんでごった返しているという有り様ですが、彼は常に微笑みを絶やすことはありません。
「スマイルは、成功するに至るまでのすべてのステップである」というのが、彼の信条です。ここでいう成功とは、何も社会的に地位を得るとか、お金を稼ぐといった意味ではなく、自分の夢を実現するというような意味なのです。どんなに忙しくてもニコニコしている。これはなかなか出来る事ではありませんね。しかもベニーさんは人から何かものを頼まれると、自分に出来ることであれば決して断ることはしない人なのです。欲もなく、ただひたすら人のために自分のもてる力を使い、淡々と奉仕活動を続けるベニーさん。やさしい人柄は、顔にも現れていて、実に穏やかな風貌をしています。
精力的な毎日を過ごしているベニーさんですが、実はこれまでにも心筋梗塞で倒れ2回ほど心臓のバイパス手術を受けており、また、腎不全を患って腎臓も一つしかない身体なのです。しかし、自分の身体のことは二の次で、やることを決めたら即実行するという、たいへん強い精神力を秘めている人でもあります。そんなベニーさんの一面を物語るあるエピソードをご紹介しましょう。札幌で会社を経営しているIさんは、第二次世界大戦中、フィリピンで戦死した弟さんの遺骨を探していました。弟さんはブラカン州のある場所で亡くなったことまでは分かっていましたが、場所は特定出来ずにいました。
そこで、ロータリークラブを通じてある人からベニーさんを紹介され、思い切ってフィリピンまで彼を訪ねに行ったのです。ベニーさんのクリニックに辿り着いたものの、クリニックは患者さんでいっぱい。Iさんは「忙しいから迷惑がかかってしまう。でも、せっかくここまで来たんだから。」とベニーさんに声をかけるのをためらっていましたが、ついに意を決して彼に用件を切り出しました。ベニーさんは、Iさんの話しを快く受け入れて、即座に遺骨探しに応じてくれたのです。仲間を10数人も集め、ジープ2台で早速ブラカン州まで出かけました。山を越え、200キロも走り回り、1週間かけてついに念願の骨を拾う事が出来たのです。ベニーさんの無償の行為にすっかり感激したIさんは、何か恩返しをしようと札幌に帰ってからフィリピンの大学生を日本に招待して自宅にホームステイさせたり、札幌の大学生や高校生を集めてツアーを組んでフィリピンを訪れたりするなど、フィリピンとの交流を深めていきました。
また、日本で募金を集めてベニーさんの所属する現地のロータリークラブに寄付をし、様々な社会奉仕プロジェクトを推し進める原動力ともなりました。その募金は、恵まれない家庭の子供に食事を提供する施設や、ポリオ患者のためのリハビリテーションの施設の建設、職業訓練センターの奨学金などに使われました。こうしたさまざまなプロジェクトが遂行できたのも、人に奉仕するというベニーさんの姿勢のなせる技と言えるのではないでしょうか。ちなみに、Iさんはこうした一連の奉仕活動により、名誉フィリピン領事に任命されました。Iさんは生前、ベニーさんと知り合い、ボランティア活動を通して、これまでの自分の人生観が変わったと話していたそうです。
さて、私がベニーさんと知り合ったのは今から8年ほど前の事ですが、それ以前にお名前だけは存じていました。実は私のおばも眼科医で、フィリピンの大学でベニーさんと同級生だったのです。おばは私にベニーさんの事をよく話してくれました。彼は若い時分からボランティア活動に励んでいて、人の喜ぶ顔を見るのが自分の喜びだったそうです。ベニーさんは忙しい合間をぬって年に2、3回、白内障治療の為にインドやバングラデシュを訪れていますが、インドではセイント・サントス、つまり聖人サントスと呼ばれています。心臓のバイパス手術を受け、腎臓が一つしかない身でありながら、困っている人々の為に奉仕活動を続けるベニーさんは、まさに聖人にふさわしい人ではないかと思います。私もベニーさんに同行し、インドで白内障の手術を行ったことがあります。日本の病院では最新鋭の医療器具が完備していますが、インドの地方では満足な設備もありません。そこで、彼はバスを改造して移動クリニックを作ったり、バスが調達出来なければテントを張って、その中で手術を行っています。
ベニーさんがやってくる、無料で白内障の手術をしてくれるという事を伝え聞くと、大勢の人々が集まってきます。なかには牛車に乗って2、3日もかけて遠方からやってくる人々もいます。白内障の手術は、濁った水晶体を削り、眼内レンズを挿入するというもので、手術自体はそれほど難しいものではありません。白内障の治療は、薬や手術費、メガネなど、すべてを含めてインド人一人あたり約10ドルほどです。日本円にしたらわずか千円ちょっとですが、現地の人にとっては大変な額なのです。若い頃から白内障にかかっていると、視力障害の為に読み書きもままならず、それがまた貧困を生む一因ともなります。光を取り戻した人々は、生きる希望をも回復し、誰もが顔を輝かせています。ベニーさんは自分に出来ること、ただ当たり前のことをしただけと決して奢る事はありません。ベニーさんのこうした生き方から、私は多くの事を学びました。