インド亜大陸の東端にあるバングラディシュは、1971年にパキスタンから分離し独立しました。 経済の中心は農業ですが、台風や洪水などの自然災害が多く、また農産品は国際価格の変動に左右されやすく、経済は不安定な状態で、世界でも最も貧しい国のひとつです。人々の暮らしはたいへん厳しく貧困、飢餓、病気など、多くの問題が山積しています。
そんな中で私は、人々のために尽力する一人の男性と知り合いました。それがアムダット・ハク氏です。彼はダッカ大学を出たエンジニアで、電気部品や自転車などをつくっている会社のオーナーでもあります。従業員は約600名ほどで、そのほとんどが女性です。彼の会社には無料の託児所もあり、こう言ってはなんですが、開発途上国においては数少ない、女性にとってはたいへん働きやすい職場で、このような会社はバングラディシュでは希有といってもいいでしょう。
ハク氏は会社を経営するほかにも、さまざまなボランティア活動を積極的に展開しています。そのひとつが、ボートクリニックです。バングラディシュの首都、ダッカには33本の川が流れていますが、雨季になると水が溢れだし、交通機関も用をなしません。もし、病気になったり、事故にあっても病院に行く交通手段がないのです。そこでハク氏はボートで移動するクリニックを考案しました。
ボートクリニックには、眼科、内科、歯科などがあり、さまざまな地域を巡回しています。 人々は、このボートクリニックが訪れるのを心待ちにしているのです。私も何度か、ボランティアの医師としてこのプロジェクトに参加したことがあります。
ちなみに、このボートクリニックを維持するには、ボートを動かす燃料、医薬品など、すべてを含めて1ヶ月約1000ドルほどかかります。また、ハク氏はボートクリニックと同様に、子供たちのためのボートスクールも作りました。彼がかかわっているプロジェクトはこれだけにとどまりません。貧困の根底にある問題として、貧困の原因にもなっている識字率向上のための教育、職業訓練、ホームレスの人々のための家など、実にさまざまなボランティア活動に身を投じています。確かに彼は、バングラディシュにおいては破格の裕福な階層の人であることは否定しません。それをもって、持てる人が、持たざる人を救うのは当然という発想にはたやすく到達しないのが世の現実です。むしろ、裕福であったとしても救いの一助をさしのべない人、その反対に貧しくとも様々な方法で救いに寄与できる人々を私は多く見てきました。
ハク氏の素晴らしさは、ただ困っている人に施しをしたという事ではありません。ロータリーのボランティア活動の基本である、彼らが自活できるまでヘルプすることに徹したこと。彼が称賛に値するのはここにあるのです。つまり、金銭を与えることに留まらず、その人間が生きていく上で必要な術を与えるという何が必要かという点にこそ、ボランティアのコンセプトを注ぎ込んだのです。例えば、一人の人に魚を贈っても、食べてしまえばそれでもう終わりです。そうではなく、その人に魚をつかまえる方法を伝授すれば、彼らはそれで一生生活基盤をつくることができます。ハクさんの基本的な考えはそこにあったのです。
また、バングラディシュでは女性の地位が低く、教育を受けるチャンスに恵まれた女性はほんのわずかです。当然識字率も低いことは言うまでもありません。ましてや、女性が仕事をもって収入を得ることなど考えられませんでした。しかし、いまや女性たちにもわずかですが自活の道が開けつつあります。その背景にあるのが「マイクロクレジット」(回転ローン資金)というシステムです。
これは、事業を始めたいが、事業を始めたいのに、銀行のローンを受けられない人々に提供する少額のローンのことです。例えば、ここから資金融資を得てミシンを購入すれば、洋服や手芸品などを作って売ることができます。鶏を飼えば卵を生みますから、これを売ればお金になります。家畜を飼って育てて子供を増やせば新たな収入が得られます。こうして得た収入からローンを返済していくのです。利子はおよそ5~6%で、通常貸付金は資金に対して直接返済され、さらに新たなローンの貸し付けに使用されていきます。つまり、お金は人から人へと回転していくというわけです。このマイクロクレジット・プロジェクトは、バングラディシュの女性や村全体の自助努力による生活改善を促し、彼らの生活向上に大いに貢献しています。
ハク氏は一方的に援助を受けるという「受け身」の考えから脱皮した自立を、自らの投資で切開いている人なのです。
このコンセプトに似たシステムとして、ロータリーには、「同額補助金制度」というものがあります。これは、ロータリアンが他の国のロータリアンと協力して人道的な国際奉仕プロジェクトを援助するためのもので、50,000ドルを限度として、ボランティアで集められた金額と同額の補助金が贈られます。この補助金は、社会奉仕をはじめ教育、職業訓練、医療・農業・用水プロジェクト、エイズやポリオに関連したプロジェクト、体の不自由な人々を助けるプロジェクトなど、他方面のプロジェクトに授与されます。
ハク氏は、マイクロクレジットや同額補助金などのシステムをフルに活用し、貧しい人々のために積極的にボランティア活動に取り組んでいます。システム、ノウハウを教えることは多くの時間と費用がかかります。あえて、この一見遠回りな方法を採りながら、実はその人にとって、ひいてはその国にとって最も有益な方法を選択されたハク氏の先見の明と、人間に対する優しさに感動を覚えます。さらにそのスタンスは、会社のオーナーでありながら、単に利益を追求するだけでなく、国としてのバングラディシュの抱える社会的問題を見据え、自分に出来ることは何かを常に考えて即行動します。
地位や名誉のためでなく、また自分だけが豊かになれば良いと言うのではなく、社会全体を良くしたいと願う彼は、まず身近で、自分の出来ることから始めるというボランティア精神の基本を、改めて私たちに教示してくれます。
ロータリースピリッツは言葉では色々語れますが、ロータリーの全てをハク氏の行動そのものが如実に語っているような気がしてなりません。ハク氏が「超我の奉仕賞」を受賞されたことを喜んでいるのは私だけではありません。ハク氏こそロータリーの「鏡」といっても過言ではないのです。